私は、医療・看護系を強みにしたイラストを強みにし
書籍や雑誌、WEB媒体などでお仕事をさせて頂いていおります。
なぜ医療・看護系を強みにするに至ったのか。
そもそもなぜイラストを描くようになったのか。
私の過去を遡りながらストーリーをお伝えします。
同時に過去の恥ずかしいイラストも一緒にご紹介しています。
子供時代のイラストと私
私は、兵庫県淡路島で生まれ育った一人っ子です。
幼少の頃から、チラシの裏紙とえんぴつがあれば
ずっと絵を描いている子でした。
保育園の頃は当時はセーラームーンが全盛期で
よくセーラームーンを描いていたことを覚えています。
しかし、小学校へ入学してから
絵を描くことは段々減っていきました。
私の母が絵を描くことを許さなかったのです。
「絵を描かないで勉強しなさい」と言われ続け
「アニメは見るな、ニュースだけ見なさい」と
大好きなアニメを見ることも制限されていました。
ただ唯一、父親が少女漫画雑誌「りぼん」や「なかよし」を
買ってきてくれることがあり
少女漫画雑誌を読んだり、模写をすることは楽しみでした。
特に「りぼん」で連載されていた
「神風怪盗ジャンヌ」が大好きで
今でも画集を持っているくらいです。
ただし
母親が家にいない時間や学校で
こっそり描いて、描いた絵は隠し
とにかく母親に怒られないようにとしていました。
絵を描く意欲はあったんですよね。
中学生になってからも絵を描くことはこっそり続けていました。
高校入学したら、部活や友達と遊ぶことに夢中になり
絵を描くことは文化祭のときに看板を描くときくらい。
高校卒業後は、地元を離れて大阪へ。
看護専門学校へ入学し、看護学生生活を送ることになります。
看護学生時代は、ほとんど絵を描くこともなく
たま〜に看護実習で役に立つくらいでした。
(実習で患者様にパンフレットに図やイラストを描くときに役立った)
子供時代の医療と私
私が小学生の頃、近所に内科クリニックができ
よく風邪をひいたりした時はお世話になっていました。
看護師さんにシールがもらえたり
やさしく声をかけてくれたりして
憧れの存在でもありました。
そして、小〜中学生の頃にTVドラマで流行っていた
「ナースのお仕事」や「救命病棟24時」を
食い入るように見ていたことを覚えています。
高校生になり、進路をどうするか決める時期に入り
クラスの女子たちは「看護師」を選択する人が多くいました。
私も、医療系に興味はあるし血は平気だし
「看護師」さえなれれば、食いっぱぐれることはなさそう。
早く過干渉な親と、閉塞的な地域から離れて自立したい。
そんな思いもあって、「看護師」を選択しました。
それから看護師のことを調べていたら
「養護教諭(保健室の先生)」という職業があることを知りました。
そして保健師資格を持っていると養護教諭2種免許も習得できるとのこと。
(当時は、保健師資格を取って10年以内に地域に申請すると養護教諭2種免許が取れる仕組みでした)
なるほど。
養護教諭もいいな。
でも看護師の実務を積んでから養護教諭など保健師業に転換するのもいいかも。
そう思い、看護師と保健師資格が同時に取れる専門学校を探しました。
前述のように、大阪に専門学校があったので、そこへ通うことになりました。
過干渉な親でしたが、大阪で一人暮らしを許した両親には感謝しています。
看護師になって絵を描くようになったきっかけ
看護師・保健師免許を習得し、看護学校を卒業。
その後は、大阪にある総合病院に勤務しました。
夜勤もあったり、覚えることもたくさんあって
大変な日々で辛いことも多くはあったものの
充実していたことを覚えています。
絵を描くことは、もうすっかり忘れていました。
しかしある日、フラッと寄った書店に行って見つけた雑誌に
全身電気が走るような感覚になりました。
それがイラスト投稿雑誌「スモールエス」
こんな雑誌があったなんて…。
大好きなイラストがたくさん載ってる。
私も描きたくなってきた…!!
沸々と幼少の頃の「描きたい」という気持ちが
蘇ってきました。
看護師2年目の頃から少し余裕が出てきて
コピックを買って、またイラストを描くようになりました。
本当に趣味程度に描いて、たまーにTwitterにアップしたり
投稿雑誌に投稿してみたり。
もう絵を自由に描いていいんだ!という思いで
無我夢中でした。
今後の生き方を考えるようになった
看護師になって、患者様を看取ることは少なくありません。
いい人生で最期を迎えたいなら、どうしたらいいんだろう?
後悔しない人生にするには、どうしたらいいんだろう?
趣味で絵を描いている程度で、下手だけど
イラストレーターになれないかな?
そう思いながら、悶々とする日々。
ちょうど実家の母親の体調も悪い時期でもあったので
今がやめ時かもしれないと決意し、
大好きだった服を買うことや娯楽を一旦やめて
半年で150万円くらい貯金しました。
そして病棟で4年働いたのち退職。
その後は、サービス付き高齢者向け住宅(いわゆる介護施設のひとつ)に
週2回ほど看護師としてパート勤務しながら
イラスト・デザイン系の専門学校へ2年通うことにしました。
「病院辞めた。専門学校に行く」と
一応、親にも伝えました。
予想通り、大反対。
「看護師資格取ったのに。なんで?」
と、散々言われました。
それでも私の意思は変わらないことを伝えておきました。
ここで誤解されてほしくないのは、決して看護師が嫌いになったわけではありません。
看護師以上にイラストを描きたいという思いが強くなったから
方向転換しようと決意したのです。
専門学校ではデッサンやIllustratorやPhotoshopの基本操作も学び、
イラストをたくさん描ける環境に身を置けたのはよかったです。
よかった反面、お金に関しては難題が多くありました。
まず、総合病院を退職して次年度の税金が想像以上に多く、ひっくり返りました。
(前年の収入で税金額が決まるので、貯蓄は必要だと改めて感じた出来事でした)
あとは専門学校の授業料や画材購入費など色々とお金がかかったので
服を頻繁に買うこともやめたし、髪の毛を染めることもやめました。
家賃の安いところに住み、生活コストを落とすよう努力しました。
お金に苦労したなんて不幸じゃない?
そんなことありません。
絵を描けることが嬉しすぎて、幸せでした。
イラストレーターになってみたものの…
イラスト・デザイン系の専門学校卒業。
同時期に看護師のパートもやめました。
出産や育児があり、
その間は2年ほどゆる〜くイラスト作家として活動。
(ギャラリーやイベントに出展していました)
そして2019年に長男が保育園に入園できるタイミングで
イラストレーターとして開業することを決意。
余談です。
イラスト作家活動の微々たる売上実績があったので、
就労証明書に売上を明記したり開業届を出した甲斐があって
無事に自治体に認められて、保育園に入園できました。
初めは、ココナラでアイコン制作をしたり
自分が好きな分野であった
ファッションイラストや女性向けイラストで
生計を立てようとしていました。
ココナラでは順調に売り上げは伸びたものの
ファッションイラストや女性向けではイマイチ…。
あぁどうしようと悩んでいた2021年ごろに
とある方のアドバイスで方向転換することになりました。
看護師×イラストの本格始動
「看護師資格あるなら、医療系でやったほうがいいし、重宝される」
「ゼッタイに強いよ」
とあるデザイナーさんのアドバイス。
もう背に腹は変えられない。
自分のやりたい市場より、求められている市場に行かねば。
これからずっとイラストを生業にしていくことが第一で
ジャンルにこだわっているのはもったいないなとも思いました。
そのアドバイスが腑に落ちてから
ポートフォリオを作り直し、営業活動をしていきました。
そして営業活動が実り、少しずつ医療系のご依頼がきました。
看護師資格を活かした医療系イラストを
強みにして受注することが多くなり、今に至ります。
これから
ありがたいことに、現在は
医療・看護系の他に実用や健康・美容など、
多岐に渡りご依頼いただいております。
私がイラスト描く意義や願いをここに書き示しておきます。
健康を願う全ての人と健康を支えるコメディカルに向けた
医療のツボを押さえたイラストを提供します。
そのイラストで健康行動が増進されたり
医療現場で仕事が円滑に進むお手伝いができ、
誰もがより健康になる未来となります。
今は、患者様と接することがない看護師です。
しかしイラストで間接的にでも人のお役に立つような人でありたい。
このような想いを持って、日々お仕事と向き合っています。
医療・看護・介護関連のイラストを得意としていますので
ぜひお任せください!
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この記事を書いた人
早瀬 あやき
イラストレーター
兵庫県淡路島出身
大阪府在住
看護師として6年働き、その後イラストレーターに転身。
「イラストでこれから輝く女性を応援する」思いが共感され、これまで雑誌・WEBメディア・アパレル・など様々な媒体でイラストを提供。
看護師経験が活きる「医療・看護系」イラストやファッション系などの女性向けイラストを得意としている。
アーティスト活動では百貨店催事やイベント・ギャラリーなどに多数出展。
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